ミノムシ繊維について
ミノムシの生態について
ミノムシは、チョウ目(Lepidoptera)ミノガ科(Psychidae)に属する蛾の幼虫の総称です。通常は葉片や枝片を糸で絡めた紡錘形または円筒形の巣(ミノ)の中に潜み、摂食の際にもミノごと移動する等、全幼虫期をミノと共に生活することが知られています。ミノムシは極地や砂漠をのぞいて全動物地理区に広く分布し、世界では約1000種、日本では約50種が生息しています。日本国内に生息している代表的な種としてオオミノガ(Eumeta variegata)が知られています。
オオミノガは、生涯を共にするミノを産まれてすぐに作ります。そして、移動する際はミノに覆われた腹部を地面から離して、逆立ちするように進みます。その姿はまるで小さなとんがり帽子が歩いているようで、絵本の世界のようなかわいらしさがあります。幼虫は夏から秋にかけて成長し、ミノの上端を小枝に固定させて越冬します。春になるとミノ内で蛹になり、初夏に羽化して成虫となります。雄の成虫は羽化するとミノから出てほかの蛾と同じように飛び回りますが、雌の成虫は翅どころか脚も触角も目も無い幼虫のような形態で、ミノの中に留まり、そのまま交尾して卵を産み一生を終えます。
このように成虫は雄と雌とで形態が大きく違う種が多いのもミノムシの特徴です。
ミノムシに注目した理由
産業利用されている天然繊維の1つとして絹糸があります。絹糸はカイコから得られる単繊維であり、繭はカイコの一生(約2ヶ月)のうち、蛹になる直前の2~3日間の限られた期間に作られ、繊維として利用する際には繭の中の蛹を殺処分する必要があります。一方、ミノムシは産まれてすぐに糸を吐きはじめ、幼虫の期間は常に糸を吐き続けるため、飼育しながら繊維を採ることができるという特徴があります。
また、私たちが産業利用に着手した当時、オオミノガの幼虫由来のミノムシ繊維は、天然繊維で最強と言われていたクモの糸を、弾性率、破断強度、およびタフネスの全てで上回ることが知られていました。「強い糸を吐き続ける」という特徴をもったミノムシは、私たちにとって有益なパートナーであると確信しました。
野生のミノムシは、天敵が多い自然の中で季節や生息地といった環境の影響を受けながら、1年間で1世代を終えるライフサイクルを繰り返します。
私たちは、2017年の春よりミノムシ繊維を産業利用するために、農研機構※と共に人工飼育に向けた研究を続けてきました。
現在では、室内で大量のミノムシを短期間で効率的に飼育できるようになり、産業利用への大きな一歩を踏み出しています。さらに、ミノムシと環境への負荷を最小限に抑える工程開発に取り組んでおり、持続可能な製造プロセスの実現を目指しています。
※農研機構:国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(National Agriculture and Food Research Organization(NARO))
最高レベルの物性をもつ天然繊維
ミノムシ繊維は、天然繊維の中でも最高レベルの①弾性率、②破断強度、および③タフネスを有しています。
❶弾性率
繊維の変形のしにくさを表す物性値。応力ひずみ曲線の初期勾配の傾き(応力/ひずみ)で与えられ、バネ定数に相当します。ヤング率とも呼ばれ、値が高い程、硬いことを示します。
❷破断強度
繊維を破断させるために必要な引張荷重または力を原断面積で除した値(応力)。値が高い程、強いことを示します。
❸タフネス
応力ひずみ曲線の積分値。繊維が破断するまでに吸収するエネルギーに相当します。丈夫さの指標として用いられ、値が高い程粘り強く丈夫であることを示します。破断強度が高いことと、タフネスが高いことは意味が異なります。タフネスは変形を伴いながらどれだけエネルギーを吸収できるかを示しますので、弱くてもよく伸びるゴムのような性質であれば値は高くなります。
構造材料として極めて理想的な特性
構造材料は一般的に強度やタフネスが求められます。ミノムシ繊維は高弾性、高強度、高伸度、高タフネスというバランスの取れた特徴を持っています。また、塑性変形領域においても引張に対して応力が直線的に向上するという特徴を有しています。これらの特徴を併せ持つミノムシ繊維は、構造材料として有望な候補であり、新たな工業用繊維としての利用が期待されます。
ミノムシ繊維の構造について
ミノムシ繊維は、カイコシルクと同様にフィブロインとセリシンという2つのタンパク質から構成されています。フィブロインが内側にあり、覆うようにセリシンが外側にある構造となっています。
カイコシルクはセリシンを取り除く工程(精練)を経て衣料品などに加工されます。ミノムシ繊維においても精練をすることでセリシンを除去できることが明らかになっています。この技術を用いて、ミノムシ繊維のフィブロインタンパク質の研究を進めています。
世界が抱える環境問題
ポリエステル、ナイロン、アクリル、ポリウレタンといった石油由来のプラスチック製品は、天然素材の欠点を補う優れた強度や耐久性を備えており、私たちの生活を豊かにしてきました。
しかし、これらのプラスチック製品は分解に長い時間を要し、崩壊しても微粒子がヒトを含む生体に悪影響を及ぼす可能性があります。特に、海洋に流れ込んだプラスチックは海洋生物にとって大きな脅威となります。また、プラスチック製品の製造には石油や天然ガスなどの化石燃料が必要であり、その生産過程や廃棄物処理において二酸化炭素の排出量が増加する懸念もあります。
プラスチック問題は世界各国で協力して対応が必要である大きなテーマであり、環境負荷の少ない素材が強く求められています。
天然由来だから環境に優しい
ミノムシ繊維は、優れたタフネスを持ちながら、天然に存在するアミノ酸のみで構成されています。海洋環境で行われた糸の崩壊試験では、2か月後にはほとんどが崩壊し、3か月後には完全に消失することを確認しました。
自然環境で分解する素材
プラスチックは、目に見えない微粒子となっても、生態系に悪影響を及ぼす可能性があり、崩壊後速やかに水と二酸化炭素まで分解されることが求められています。
ミノムシシルクは、海洋環境下で分解が進むことを確認しました。90日間で評価したところ、ミノムシ繊維はPET(ポリエチレンテレフタレート)と比較すると生分解が進んでおり、セルロースと同様な生分解の傾向であることが示されています。